
今回の書籍「嫌われる勇気」岸見純一郎・古賀史健著
をおすすめする人は以下の人たちです。
・人間関係で悩んでいる
・劣等感や優越感に苦しんでいる
・他人を気遣ったり,配慮したりして疲れてしまう
本書のポイント
- トラウマなどない。人は皆、目的に向かって生きている。不幸は自分で選んでいるだけ。
- 他者の課題と自分の課題を分離し、他者からの承認を求めない。自分の人生を生きること。
- 他者に貢献する、他者を仲間とみなす「共同体感覚」を磨いていくことが大切。
心に残った言葉
- アドラー心理学とは、他者を変えるための心理学でなく、自分が変わるための心理学
- アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します
- 馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない
- 「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心をもたない自己中心的なライフスタイルなのです。
- 関係が壊れることだけを恐れて生きるのは他者のために生きる、不自由な生き方です。
アルフレッド・アドラーとはどんな人?
アドラー心理学(アドラーしんりがく)、個人心理学(こじんしんりがく)とは、アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)が創始し、後継者たちが発展させてきた心理学の体系である。個人心理学が正式な呼び方であるが、日本ではあまり使われていない。
岸見一郎によれば、もともとはジークムント・フロイト(Sigmund Freud)とともに研究していたが、その学説はフロイトの理論とは大きく異なり、たとえば苦しみの原因をトラウマに求めないことなどがあげられる。
Wikipedia

アドラーはフロイト、ユングと並んで心理学の三大巨頭の一人なんだ!
アドラーが理論を完成させたわけではないため、考えをもとにした多くの書籍があるよ!
日本ではアドラー心理学会が設立されるなど、多くの人に影響を与えているよ!
トラウマなどない。自分で変わろうとしないだけ。
アドラー心理学ではトラウマを否定します。
フロイトは原因論を述べ、過去の出来事によって人の行動が変わることを述べていますが、アドラーは目的論を述べ、人は目的に沿って生きていると話します。
そこには、目的論をとることで人は変わることができるという考えがあります。原因論をとってしまっては、過去のことが起きてしまえば、もう人は変わることができません。
怒り、悲しみも全て、目的のために”道具”として使用しているだけなのです。立てるなら、怒りで相手を屈服させたい、自分を守りたい、悲しみで相手に同情してほしいなどでしょうか。
そのため、人は変わることができないのではなく、自分で選んで変わらないだけと捉えています。
「もしも○○だったら...」という可能性の中に生き、そのままにいるほうが楽だと思い、自ら変わろうとしないだけなのです。

言ってることはわかるんだけど、なんか腑に落ちないわ。
交通事故とか大災害はトラウマになるってよく言うし。
それも全て自分で選んでいるっていうこと?

アドラーの考え方からするとそうなるのかな。
今の自分が不幸なのは、自らの手で不幸であることを選んだから。
アドラーのこのような考え方はフロイトと対立した原因の一つだね。
全ての悩みは対人関係?
悩みを消し去るには、宇宙のなかにただひとりで生きるしかない
人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである
アルフレッド・アドラー
人間は孤独を感じるにも、怒りを感じるにも、必ず「他者」を必要とします。
劣等感は使い方次第?
人は無力の状態で生を受けます。その状態から抜け出したいと思う普遍的な欲求「優越性の追求」があるとアドラーは述べています。
ここで、理想とする自分と現在の自分を比較し、劣っていると感じた場合に生じるのが劣等感です。劣等感があれば、「まだまだ未熟だから頑張れなければならない」「もっと物事を極めなくてはいけない」という自身の向上につながっていきます。
ここで「頭が悪いから成功できない」と自身の向上につながらないもの、これを劣等コンプレックスといい、自らの劣等感を言い訳のために使用しはじめた状態です。本来は何の関係も無い因果関係に対して、あたかも因果関係があるように納得させ、納得させてしまう「見かけの因果律」を作ってしまうのです。
劣等コンプレックスから、優越コンプレックスへ
劣等コンプレックスが発展すると「Aさえなければ、自分は有能で価値がある人間なんだ」というような状態になります。これを優越コンプレックスといいます。
優越コンプレックスとは、あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸ることです。
例えば、有名ブランドや高級品を好んで使用する人がいるとします。本当にその商品が好きで使っている人もいれば、自分に自信がなく高級な品で自分自身の価値を高めようという心理の人もいます。後者は優越コンプレックスの典型的な例でしょう。
また、自慢をする人も劣等感に苦しんでいる人と同じです。不幸自慢も同様に不幸であることで相手を支配しようとしている状態です。
劣等コンプレックスと優劣コンプレックスはそれぞれつながっており、正しく劣等感を使えていない状態です。
健全な劣等感とは、常に理想の自分との比較から生まれるのです。

誰かと比較した劣等感は、基本的に良くないのね。
理想の自分と比較することを劣等感と思わなかったわ。

劣等感も優越感も、自分自身の成長のためにならなくなってしまえば、悩みにつながる。
自慢する人も、自虐する人も、皆同様に劣等感に苦しんでいるんだね。
人生は他者との競争ではない、「目的」を考えよう
対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから抜け出せず、不幸のままにしかなりません。
優越性の欲求のまま、ただ前を向いて歩けばいい。いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ価値があるのです。
競争からは「権力争い」と「復讐」を生み出します。
相手から罵倒されても、罵られても、それは相手から「権力争い」を仕掛けてきているのです。これに乗っかってしまえば、やがて「復讐」へと発展し、解決が難しくなってしまいます。
人は対人関係のなかで「わたしは正しい」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み込んでいるのです。自分は正しいから、相手は非難されるべきだ。怒られるべきは相手。やり返しても自分が正しい。そのように思ってしまうかもしれませんが、その時点であなたの悩みの解決は難しくなっています。
そんな場合、権力争いから降りることが最優先です。
優越性の追求を求める以上、自分の誤りを認めること、相手に謝罪すること権力争いから降りることは負けではないのです。

いやあ、さすがに怒鳴られたらイラッとするわよ。
これができたら仏よ。自分は間違ってないって思うし。

確かに。(笑)
でも、優越性の追求をするにあたっての目的は、言い返すことじゃないんだ。
相手と競争を始めてしまうと、そのまま不幸へとつながってしまう。
ここでひくことは勝ちでも負けでも何でもないんだね。
自分と他者の課題を切り離せ
承認欲求を満たす必要はない
アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。
他者の期待を満たそうとすることは、他者の人生を生きることになります。
また、「せっかくしてあげたのに」「相手からの見返りがない」と思ったことはありませんか?
他者もまた、「あなたの期待を満たすために生きているわけではない」のです。

せっかく親切にしてあげたのにって、すごく気持ちがわかるわ。
見返りを求めてたわけじゃないけど、納得がいかないっていうか。

自分が変えることができることに集中する。そして、自分の人生を生きる。
承認欲求にとらわれてしまうと、更なる悩みが降ってきてしまうんだ。
それを回避するためには、次に紹介する課題の分離が重要なんだ。
課題の分離とは
他者の課題には踏み込まない
「これは誰の課題なのか?」と自分と他者の課題を分け、相手の課題に踏み込まないことが大切です。
見分ける方法は「その選択によってもたらされる最終的な結末を引き受けるのは誰か」と考えることです。
親が子どもに勉強させようとしている場面を想像してください。「勉強すること」の最終的な結末を引き受けるのは誰でしょうか?もちろん子どもです。
このとき、「勉強すること」は親ではなく、子どもの課題です。それに対し、勉強しなさいと促すことは子どもの課題に踏み込んでいることと同じです。

まった。勉強をするように促すこともいけないの?
それ、すっごく不安なんだけど。

アドラーからすれば、勉強をするかどうかは本人が解決するべき課題なんだ。
親が勉強するように促すことは、親自身のためにすることと同じらしい。
最終的な結末を引き受けるのは誰か、考えるとやっぱり子どもだね。
他者の課題は切り捨てよ
他者の課題は切り捨て、自分の課題に他者を介入させない
他者の課題に踏み込むことは自分の人生を重く、苦しい物にしてしまいます。
自分の課題に他者を介入させれば、他人がやってくれないことを悩んでしまう。
しかし、そんなことを現実で行ってみるとどうでしょう。「あの人は気遣いができない」「あの人は協力してくれない」こんな声が聞こえてきそうです。
他者の課題に介入することは、自己中心的な考え方です。子どもに勉強をさせ、親の考える理想の大学へ進学させる。息子に相応の結婚相手の就職先を考える。これは、親の自己中心的な課題とも考えられないでしょうか。
あなたにできることは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、その選択について他者がどんな評価を下すのかは他者の課題であって、あなたにはどうすることもできないことなのです。

周りの人のことを考えることが親切だと思ってきたわ。
協力して、場の空気を壊さない事が大切だと思ってたのに、それが自己中心って。

最終的には目的が何かを考えることだね。
共同体へ貢献しているのか、自分が傷つきたくないのか。
ただ空気を読むのは自分のためであり、自己中心になってしまうのかな。
嫌われる勇気を持て
自由とは、他者から嫌われることである。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできないのです。
変わるのはわたしだけで、周囲は変わらないし関与できない。まずは自分が変わるしかありません。

苦しいけど、言っていることは事実よね。
そもそも、頑張って周囲を配慮していても何かトラブルがあるわけだし。

幸せになるために嫌われる。
矛盾しているようで必要なことなのかな。
幸福な人間関係を築く「共同体感覚」
自己への執着から、他者への関心に
承認欲求にとらわれたり、他者からどう思われているのか気にしたりする人たちは自己への執着が強い状態です。つまり、自己中心的な状態なのです。
ここで重要なのが、「共同体」へ貢献しようとする考え方です。
わたしは共同体にとって有益だ、共同体に貢献できていると感じるときのこそ、人は所属感を感じて幸福へとつながるのです。これは主観的で良い、つまり、自分が変われば世界の見え方まで変わるのです。
「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」
自己受容とは、できない自分もありのまま受け入れ、肯定的にあきらめることです。「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極め、与えられているものをどう使うかを考えます。
他者信頼とは、他者を信じるにあたって条件をつけないことです。似ている言葉で信用というものがありますが、これは条件付きです。もし、裏切られたらどうしよう、と考えることも想定できますが、裏切るか裏切らないかを決めるのは他者の課題です。自分は、その後どうするかのみを考えればいいのです。
他者貢献とは、他者がわたしに何をしてくれるかではなく、わたしが他者になにをできるか考え、実践することです。これは、自己犠牲とは異なります。また、アドラーは自己犠牲を「過度に社会へ適応した人」と捉え、否定しています。
まとめと感想

うーん。参考になる部分は多かったけど、実践まで行くかは微妙ね。
実際にやろうと思っても、やっぱり私は気になってできない部分も多そう。
人の目はどうしても気になってしまうわ。

実は、読んだ自分も。(笑)
ただ、「課題の分離」はすごく納得する部分が多かったかな。
ずっと見周りの人の役に立たないとって思ってたし。

今までも学校や大学でも同じように言われてきたわ。
少し見え方が変わるだけでも、少し気持ちが楽になる気はするかな。

一冊を読んでいく中で、人間関係の新しい考え方は多いよね!
他者に期待するばかりじゃなく、自分が変わる。
そんな勇気をもらえる一冊だったと思う!
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